Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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MELBOURNE Street by Street (45)

Market  Street   ―  その 1  ―    

ケン・オハラ 

William Street に沿ってメルボルンを北から南に向かって歩いてきて、南の端にきた。ここで東に曲がって、 Flinders Street に入り Market Street を北に向かってみよう。

この通りが Market Street と呼ばれる理由は、AXA ビルディングがある Market Street, Collins Street, William Street と Flinders Lane に囲まれた一画に かつて Western Market があったからである。

ケン・オハラはこのメルボルンの旧マーケット跡を通りかかる度に、彼がヒーローとするところの W S Robinson について思う。

100年前、Robinson は the Age ジュニアレポーターの職を得た。彼の最初の仕事の一つは青果市場からの報告だった。

エディターはたまねぎがどのくらい売れてキャベツがいくらで売買された、という通常の報告を待っていた。ところが Robinson が書いたのは、幅広い野菜と果物の値動きと、あるトレーダーがジャガイモをいかに買い占めて値段をつり上げ、それを売って大きな利益を上げたかという、きわもの的なレポートだった。

エディターは、いぶかしく思って Robinson を呼んで質問した。「この記事は完全ではないよ。誰がジャガイモの値段をつり上げたのかね?」。 「えー、実はそれは僕です」と Robinson は答えた。

Robinson は後に the Age の経済記者となった。そして50年ほど前には、Western Mining をはじめとする会社を設立し、オーストラリアのトップ実業家の一人となった。

現在、もし Robinson が Market Street を歩いたとしたら、トマトや豆の値動きよりは、不動産の値動きに注目することだろう。

まず初めに 40 Market Street の Powercor ビルディングをみてみよう。

この不動産は1970年代の不動産ブームが崩壊した時、オーナーに大きな痛手を与えた。しかし、次のオーナーには大きな利益をもたらした。そして1980年代に、またもや大きな痛手をオーナーにもたらした。

イギリスの会社 Ronald Lyon は1972年に、$3,400,000 でこの不動産を購入した。当時のオーストラリアの不動産ブームが崩壊する直前のことであった。Ronald Lyon は破綻した。抵当権者はその不動産を売却するのに数年かかった。やっと1983年に $4,000,000 で売却できた。そして1985年に $4,800,000 で売買された。不動産の値段が幾分上がり始めた時だった。

オーナーは現在のビルディングを建設し、1988年に Victorian Government's Accident Compensation Commission に $53,5000,000 で売却した。買い手にとっては不運であった。同年の後半には、この不動産を売ろうにも買い手がつかなかった。やっと買い手がついたのは10年後であった。1998年にRetail Employees Superannuation Fund が $18,000,000 で購入し、2003年に $30,000,000 で売却した。

Flinders Lane を渡ると、もっと酷い例がある。50 Market にあるTreasury Funds House は1988年に the AMP life insurance group が $20,500,000 で購入。1994年に $6,650,000 で売却された。

もう少し先の Market Street との角にある 419-429 Collins Street は不動産の値段の上がったり下がったりの良い例である。1984年に $11,400,000 で売買され、1990年には$21,000,000 で。1999年には $12,250,000。2001年には $14,000,000 で売買された。

不動産を安い時に購入し高くなったら売る、言うは易し行なうは難しい。しかし 若年の駆け出しの頃、ジャガイモでそれをやった W S Robinson なら、不動産のオフィスビルディングでもたぶんやれることだろう。 

Copyright: Ken O'Hara
*この記事及び写真の無断転載、借用を禁じます。

 

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