Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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5 国歌が決まるまで

Waltzing Matilda とAdvance Australia Fair

Waltzing Matilda                   スピアーズ洋子

オーストラリアで生まれ育った人なら誰でも知っている Banjo Paterson が歌詞を書いた Waltzing Matilda は、オーストラリアの社会や文化をさかのぼって理解するための宝庫、といっていいほどの言葉がいっぱいつまっています。
 曲は古いスコットランドの兵士のバラードがもとになっているということです。歌詞は Banjo Paterson ですが、歌詞や譜面が発表されて、すぐに印刷されたわけではなく、初めのうちは人から人に歌い継がれてきたので、細部がまちまちだったり、言葉の意味や由来がはっきりしていません。そもそも、Waltzing Matildaという言葉の意味や由来も不明なのです。そのためWaltzing Matilda についての英語の本だけでも数冊出版されています。

ここではまず英語の歌詞を紹介し、そのなかにあるオーストラリア英語をひろって説明してみましょう。

Once a jolly swagman camped by a billabong,

Under the shade of a coolabah tree;

And he sang as he watched and waited till his billy boiled

“You’ll come a waltzing Matilda with me”

“Waltzing Matilda, Waltzing Matilda,

You’ll come a waltzing Matilda with me”

And he sang as he watched and waited till his billy boiled

“You’ll come a waltzing Matilda with me.”

Down came a jumbuck to drink at the billabong,

Up jumped the swagman and grabbed him with glee

And he sang as he shoved that jumbuck in his tucker bag,

 “You’ll come a waltzing Matilda with me!”

Up rode the squatter mounted on his thoroughbred;

 Down came the troopers, one two, three.

Whose the jolly jumbuck you’ve got in your tucker-bag?

 “You’ll come a waltzing Matilda with me.”

Up jumped the swagman, sprang into the billabong,

 “You’ll never catch me alive,” said he.

And his ghost may be heard as you pass by that billabong

“Who’ll come a waltzing Matilda with me?”

Swagman

Swagman の swag は身の回り品を毛布に包んでまとめたもの。Swag man はそれを背に担いで、the bush を転々とする放浪者。食料やわずかな賃金と交換に、牧場で羊の毛を刈ったり、羊の番、農作業の手伝い、柵作りや補修などの雑用をさせてもらい、生活の糧を得ながら牧場を転々と渡りあるく無宿者。

Billabong
 アボリジニーの言葉で川原にできた水溜りのこと。それも、大きな川が曲がった辺りの川原にできる深い池のような水溜りのことをいいます。オーストラリアの自然に密着した言葉なので、ドリームタイムのお話や殖民当初のオーストラリアの自然や生活を題材にした散文や詩などによく登場しています。

coolabah tree
 アボリジニーの言葉で川や池のそばなどに生える幹のつるつるしたユーカリの木。

billy

ブリキでできた円筒の飯ごうの様なもの。お湯を沸かしたり、煮炊きに使う。

jumbuck 
 アボリジニーの言葉で羊。由来は移動する羊の群が地上にたなびく霞のように見えたことから、アボリジニーの白い霞を意味する jumbuck といわれるようになったという説。また jump up という言葉からきたという説があります。

tucker bag

Tucker は オーストラリア英語のスラングで、普通の英語では food 食べ物の意味。元来はイギリスの男子生徒の間で使われた言葉で、店で作られて学校に配達されてくるパイ類のことを tuckといい、食べることを to tack inといいました。現在でもオーストラリアの学校では、校内で食べ物を扱う売店を tuck shop と言っています。ところが1800年代の中頃から、オーストラリアでは食べ物一般に使われるようになりました。またthe  bush や outback では独特の使われ方をするようになりました。例をあげると、to make tucker は食料を買うために稼ぐ。Bush tucker は the bush でみつかる食用の自然の植物、動物や虫、魚などのこと。Tucker bag は tucker(食料)を入れる袋のこと。

squatter

  牧場主(時代により異なる意味で使われています。詳しくは歴史の項をごらんください。)

waltzing Matilda
 Waltzing Matilda は、swag man が身の回り品を毛布に包んで放浪して歩くことですが、swag man と Waltzing Matildaがどのように関係するのかわからない、という人が多いようです。実のところはっきりしたことは解かっていません。そのため Waltzing Matilda について調べたり本を書いたりする人がいて、出版もされています。その中の1冊、1971年に出版された H. H. Pearce の “on the Origins of Waltzing Matilda” によると、Matilda はヨーロッパから入って来た言い方ではないか、ということです。かつてヨーロッパでは常にどこかで戦争があり、その兵隊たちの後を付いて廻る一団がありました。そのなかには兵隊たちの身内や恋人もいましたが、ほとんどは売春婦たちでした。兵隊と同じように毛布に身の回り品を包んで、移動する部隊の後を付いて行くこの一団のことを、ドイツでは Matilda と呼んでいたということです。

蛇足ですが、「モロッコ」という古い映画で、マリーネ・デェートリッヒ扮する主人公が、モロッコの砂漠でハイヒールを脱ぎ捨てて、恋人が入隊した部隊の後を追って、この一団に入っていくラストシーンがありました。
 この Matilda ヨーロッパ説はかなり有力で、その後に出版された他の著者の本にも取り上げられ支持されています。とはいえ、これも憶測でしかないようです。

それではここで歌詞を私なりに訳してみます。

池のほとり、ユーカリの木陰で、
陽気な放浪者がキャンプをした。
飯ごうのお湯が湧くのを見つめながら、待ちながら間、歌うのさ。
俺と一緒に放浪しようよ。荷物を肩に担いでさ。
放浪しよう、放浪しよう。
俺と一緒に放浪しようよ。
飯ごうのお湯が湧くのを見つめながら、待ちながら、歌うのさ。
俺と一緒に放浪しようよ。

羊が一匹、池の水を飲みにやってきた。

喜んだのは放浪者。羊に飛びかかって捕まえた。

羊を食料袋に詰め込みながら、歌うのさ。

俺と一緒に放浪しようよ。

道の向こうから、サラブレッドに跨った牧場主がやってきた。

騎馬巡査の姿も見える。1人、2人、3人と。

誰の羊かね? お前の食料袋にあるのは?
俺と一緒に放浪しようよ。

放浪者は池の中に飛び込んだ。
「生け捕りにはされないぜ」、といいながら。

池のほとりを歩いたら、彼の幽霊の声が聞こえるよ。

誰か、俺と一緒に放浪しようよ。

一時期には国歌にもなったWaltzing Matilda は、オーストラリア国内だけでなく海外でもよく知られています。それには映画が大きく貢献しているようです。かつてオーストラリアが舞台となった映画の多くには、バックに Waltzing Matilda の曲が流れていました。

そのなかでも Waltzing Matilda を世界的に有名にしたのは、1959年の冷戦時代に作られた On the Beach (渚にて)というアメリカ映画でしょう。原爆を使った第3次世界大戦が勃発。地球上で最後に残ったのがメルボルンという設定。北半球からわずかに伝わる通信音・・・・・。 もしかして生存者が、と音を頼りに潜水艦でたどり着いたのはサンフランシスコの沖合。望遠鏡で見えたのは全く生き物のいない街。通信音と思ったのは、壊れた窓のカーテンの紐が風にふかれて、床に倒れたコカコーラのビンに当たっていたというのが、当時評判になったシーンでした。ちなみにこの映画で、地球上の最後の一人が死に絶えたのは、メルボルン市のSwanston Street にある ビクトリア州立図書館の階段でした。人類が死に絶えた海岸には、ただ波が打ち寄せているだけ、というラストシーンに流れた Waltzing Matilda のメロディーが非常に印象的で評判になりました。
 話がそれましたが、 Waltzing Matilda はオーストラリア人に絶大な人気があり、オーストラリアの国歌にすべきだという意見も多く、1976年のモントリオールオリンピックには国歌として使われました。ただ、問題は歌詞で、swagman(放浪者)が主人公の歌詞を国歌にするのはどうしたものか、という意見が、権威者や政治家にありました。過去2回、Whitlam 政権と Fraser 政権の時に Advance Australia Fair と Waltzing Matilda と Song of Australia のどれを国歌にするか、国民投票が行われました。2度とも Advance Australia Fair  が選ばれています。

スポーツの国際大会などで優勝した時に、みんなが歌う歌はWaltzing Matilda が多いようですが、国旗掲揚には Advance Australia Fairの曲が使われることが多くなりました。

Advance Australia Fair

オーストラリアの国歌が決まったのは意外に最近で、1984年のことです。

Advance Australia Fair が初めて公表されたのは、1878年、シドニーでした。それ以来、様々な場面で国歌のように演奏されてきましたが、入植以来、公式な式典では 常にGod Save the Queen が演奏されました。
 メロディーが海外にもよく知られている Waltzing Matilda は、常にポピュラーな人気がありますが、歌詞の主人公が放浪者で、飯ごうと毛布を背に犬を連れて流れ歩き、お巡りさんに追われて池に飛び込む、というものですから、いくらメロディが良くても国歌としてはどうも、という強い反対意見が一部にありました。

1956年のメルボルンオリンピックでは、Advance Australia Fair と Waltzing Matilda の二つに支持が集りましたが、決定には至りませんでした。  国歌がはっきりと決まっていないと国際的なイベントで困ることが多く、国歌の公募も何度か行われました。

1977年5月、 Fraser 政府の時に国歌を決める直接国民投票が行われました。候補に上がった4曲の結果は、
Advance Australia Fair (43.2%)

Waltzing Matilda (28.3%)

God Save the Queen (18.8%)

Song of Australia Fair ( 9.6%)

ということでAdvance Australia Fair がトップでした。しかし祝祭の時に、エリザベス女王が出席されている場合は、依然 God Save the Queen が演奏され、時には両方演奏するなどまちまちでした。

1984年になって God Save the Queen は Royal Anthem としAdvance Australia Fair を National Anthem 国歌とすることが決定しました。以来公式な式典や国際的なイベントでは Advance Australia Fair が演奏されますが、非公式なものでは Waltzing Matilda が歌われることもよくあります。

参考のためにAdvance Australia Fair の原文を記しておきましょう。

Advance Australia Fair

Australians all let us rejoice,

For we are young and free;

We’ve golden soil and wealth for toil; 

Our home is girt by sea;
Our land abounds in nature's gifts
Of beauty rich and rare;
In history's page, let every stage
Advance Australia Fair.
In joyful strains then let us sing,
Advance Australia Fair.
Beneath our radiant Southern Cross
We'll toil with hearts and hands;
To make this Commonwealth of ours
Renowned of all the lands;
For those who've come across the seas
We've boundless plains to share;
With courage let us all combine
To Advance Australia Fair.
In joyful strains then let us sing,
Advance Australia Fair.

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