Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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インタビュー (56)    島田 利也                               
  
この欄では、有名、無名、国籍を問わず、ユーカリ編集部で「この人」を、と思った人を紹介していきます。今月は、2度目の滞在で、悠々自適、オーストラリアのリタイアー生活を楽しんでいらっしゃる島田利也さんをお訪ねしてお話をうかがいました。
 
*島田さんはオーストラリアにいつ頃いらしたのですか?

今回は2度目でして、最初は1977年から1979年にかけて2年間滞在しました。今回は1994年の2月から滞在しています。

*最初はどういう理由でオーストラリアにいらしたのですか? 

私はもとNHKの職員でして、1970年代からNHKとオーストラリアのABCとは放送局同士で友好条約を結んでおりましたので、交換職員としてオーストラリアに来ました。

*そうでしたか。それでABCではどのようなことをされたのですか?

ABCのなかに「ラジオ・オーストラリア」という海外サービス部門がありまして、そこで日本向け放送を担当しました。日本でしていたことと全く同じ仕事でしたが、唯一つ大きな違いは、当然なことですがスクリプトが全部英語で書かれていて、それを日本語に訳して放送しなければならない、ということでした。

*それは大変なお仕事ですね。訳す時間のプレッシャーがおありでしたでしょう。取材などもされたのですか?

取材はほとんど無かったですね。ニュースと毎日のディスクジョッキーですね。初めのうちはオーストラリアの印象などを入れたり。何しろ予算が非常に限られていましたので、かつて一度使ったものをつぎあわせて、また利用したりというようなこともしました。

*聴取者は日本のどのような層を念頭におかれていたのですか?
短波放送でしたから、短波の受信機がないと聴けないわけですが、ドイツを初め、たいがいの先進国では海外向けの短波放送を持っていて、国の宣伝をする、という国策を担っていたわけで、ラジオ・オーストラリアでも国の宣伝をしていましたが、ティーンエージの子供向けが多かったですね。ラジオ・オーストラリアの日本語放送というのは、当時の日本の子供たちに抜群の人気がありましたね。簡単な英会話の番組もちょっと入っていまして。

*1977年当時のオーストラリアの印象はいかがしたか?

カルチャーショックを受けました。

*どういうカルチャーショックを受けられたのですか?

オーストラリアは初めての外国だったのですが、それまで外国というものに対してたぶん幻想をいだいていたのでしょう。外国にしてはかなり田舎っぽい国だな、と思いました。

*ちょっと、がっかりされたわけですね。いらしたのはメルボルンですか?
そうです。いまから振り返ってみると、とてもいい国だったのですが。
*日本は東京からいらしたのですか?
いえ、我々は転勤族ですから、日本をあちこち転勤させられてメルボルンに来る前は仙台にいました。
*当時のメルボルンは仙台に比べても田舎でしたか?
いえ、そんなことはなかったですが、国全体として、田舎っぽいという印象をうけました。
*まだ農業と資源が国の経済を支えていた頃ですよね。
まだ人口が1370万ぐらい、1400万になってなかったですね。メルボルンの人口が270万くらいではなかったでしょうか。
*メルボルンにはご家族で滞在されたのですか。
ええ、家内と9歳の娘がおりまして、娘は小学4年の2学期からこちらの学校に通学しました。
*ご家族の方はメルボルンの生活に直ぐ慣れましたか?
娘には Thank you と Where is a toilet? と2センテンスの英語しか教えていませんでしたので、最初は大変だったと思います。日本人学校もありませんでしたし。娘はこちらの学校に入れて、土曜日だけ日本人補修学校に通わせました。最初の3ヶ月くらいは非常に憂鬱そうでした。初めは補修学校に行くのが楽しみだったわけです。ところが日本語補修学校は宿題が出る詰め込み教育なのですが、こちらの小学校は宿題もないし、遊びに行くようなものなので、3ヶ月も経つとこちらの友だちもできたりして、3,4ヶ月経ったらオーストラリアの学校生活の方が楽しくなったようです。家内の方は言葉も全然できなかったのですが、、、。外国生活に適応する、というのは言葉ができるできない、というよりも、その人の性格ですね。家内はノー天気な性格ですから、英語なんか一言もしゃべれなくても、一人でさっさと出かけていました。交通事故にでもあったらどうするのか、店で万引きの疑いをかけられたら、どうやって釈明するのか、そういう心配で、こちらの方がハラハラしたぐらいでしたよ。
*そういう方でしたら、外国生活も早く慣れて楽しめるでしょうね。食べ物がどうのこうの、という問題もありませんでしたか?
当時は日本食のお店が1軒しかなかったんですよ。今は生しいたけから大根まで、ほとんどなんでもありますよね。ところが当時、特に日本的な野菜といえば、白菜があったかな、そのくらいでしたよ。だからさすがに不自由だな、と思いました。ただ、その頃、日本ではお米がやたらに高かったんですよ。ところがオーストラリアでは日本の十分の一ぐらいの値段で買えました。うわーすごい、良いところに来たな、と思いました。私たちのような終戦後の飢餓世代にとっては、米が安い、というのは非常に安心感がありますね。
*そうですか。では月に何回か日本食料品店に買出しにいらしたりなさったのですか?
ええ、それでお店のご主人と仲良くなったりしました。シティには日本食レストランが1,2軒あったような気がしますが、ひどいものでした。家で作った方がよっぽど旨かったですね。ですから17年、間をおいて2度目に来た時は、その様変わりにびっくりしました。
*そうですね。メルボルンはここ10年の間にもの凄く変わりましたから。多民族文化主義が浸透して国際的になり洗練されてきましたね。それで2度目はどんな理由でいらしたのですか?
2度目は1994年で、日本のバブル経済が崩壊した頃でした。NHKを退職して、これからどうしようかな、と思っていた時に、ABC時代に知り合って、ずっと友だちだった人がメルボルンに何人かいて、そのうちの一人から、「島さん。メルボルンは暮らしやすいから、こっちにおいでよ」、と誘われましてね、「じゃあ行ってみるか」ということで、メルボルンでリタイヤー生活をすることになったわけです。
*お嬢さんは、もう成人して。
そうです。娘がちょうど大学を卒業して就職した年でした。
*それではもう親の責任は果たしたし、後は自分たちのことだけを考えればいいわけですね。オーストラリアでリタイヤー、というのは前に滞在された経験からですか?
もちろんそうです。こんないいところはないと。僕は日本にいた時はアンチゴルフだったんですよ。自然破壊の元凶だなんていって、ゴルフ場開発は感心しない、といっていたのです。ところが最初にこちらに来た時、半年ほどしてゴルフをやってみて下手なゴルフの虜になってしまったのです。あの当時アルバート・パークのゴルフ料が1ドルちょっとだったんですよ。日本では1万5千円から2万円はかかりましたから、百倍ですよ。百倍。
*そうですか。まあ、オーストラリアの場合、ゴルフは庶民のスポーツですからね。
そう、テニスやゴルフは庶民のスポーツで、お金持ちの人はセーリングとか、飛行機やってますよね。しかし、オーストラリアのゴルフも最近高くなってきて、それほど差は無くなってきています。パブリックで安いところでも20ドルはしますし、高いところでは40ドル50ドルしますから。ましてやプライベートの名門コースなどは日本並みになってますよ。
*まあ、それはすごいインフレですね。
そうです。ゴルフ料が一番インフレだと今回来て思いました。オ-ストラリアの経済は1994年に底をついて、それからはどんどん回復しましたね。ですから毎年2から3パーセントのインフレですよね。ずいぶんモノが高くなったな、と家内と嘆いています。でも食料品などはまだ日本に比べると安いですね。ゴルフ料は高くなりましたが。
*ゴルフは奥様もなさるのですか?

初めはやってませんでした。家内は日本ではいろいろなことをしていましたが、こちらに来て直ぐ友だちができるわけではないので、「ゴルフをやってみないか」と誘ったら、「やってみる」といったので一緒にやり始めたら、面白くなってきたようです。

*2度目にいらしてからは、どのようなことをなさいましたか?
もっぱらゴルフと囲碁クラブで碁を打ってます。リタイヤービザですので仕事はしてはいけないことになっていますから。
*リタイヤービザというのは簡単に取れるものなのですか?
えーとですね。1980年代のオーストラリアは、日本と違って経済が非常に落ち込んでいましたね。それでリタイヤービザを発給して、バブルでふくらんだ日本の退職者の金をオーストラリアで使わせよう、という政策だったみたいですよ。だから働いてはいけない、オーストラリア経済に寄与すること、という主旨でした。オーストラリアの銀行に一定額以上を預金して、健康保険なども自分で手配して払って、オーストラリア政府に財政的な負担は一切かけない、という項目もきちんとありました。
*ようするにオーストラリア政府の経済的負担にならず、ここでお金をどんどん使ってオーストラリア経済に貢献してくれる日本人には、リタイヤービザを出しますよ、ということだったのですね。
そうなんですね。ところが日本のバブルブがはじけてしまって、こんどは日本人が青い顔になる番になってしまいました。
*時代につれて世の中ぐるぐる変わりますね。それで日本には時々お帰りになるのですか?
家内は毎年帰っていますが、私は3、4年に1度くらいしか帰っていません。日本にあまり魅力を感じなくて、それほど帰りたい、とも思わないですね。
*たまに日本にお帰りになってどんな印象を受けられますか?
不況とある種の国際化を経て物価がずいぶん安くなったな、と思いますね。その他は相変わらずみんな忙しそうだし、通勤電車は満員だし、あの満員電車はもうかなわんな、と感じました。
*私も一時期あの満員電車に乗って通勤していたのですが、一度離れてしまうと、もう乗れないですね。
あれは政治の貧困ですよ。あのものすごい満員電車に乗って通勤しなければならないというのが、いかに酷いことであるか、というのは、こちらに来て初めて実感したわけです。オーストラリア人だったら、あんな電車に乗って職場に行かないだろう、と僕は思います。戦後60年も経って、終戦直後の殺人的な電車の混みようとほとんど変わっていないんですよ。それは政治の貧困でしかありません。だけどあのなかで慣れてしまうと、そういうことすら思わなくなってしまうのですね。あと道路の悪さ、今の日本は車社会であるにもかかわらず、道路の悪さは戦後とあまり変わらないですよね。車道と歩道とをきちんと分ける、ということをしていませんでしょ。
*あれは恐いですね。子供やお年寄りには酷なことで、弱者に厳しい社会ですね。

あれは野蛮です。人が歩いている所に車を通す、なんて野蛮国以外の何ものでもないですよ。そういうことも、他を知らないで、慣れてしまうと解からなくなってしまうでしょう。西洋諸国は車馬交通の歴史がありますから、歩道と車道はきちんと分けています。たとえ狭くてもやろうと思えばできるのですよ。ところがそんなことは一切しないで、自動車産業優先社会でここまで来てしまったでしょう。昔、車社会が始まった頃は、田んぼのあぜ道みたいな所に車を通すなんて、そんな野蛮な国があるか、というような声はあったのですよ。しかしそんな声は産業優先のなかで、あっという間に消されてしまいました。道路交通事情全く変わらず毎年1万人以上の交通事故死が出ていました。ここのところ少し減っているようですが。日本の場合、そのうちの3分の1以上が歩行者なんですね。オーストラリアの場合人口の割りには交通事故は多いですが、酔払い運転、スピードの出しすぎなどで、電信柱や木や車同士がぶつかるのであって、自己責任の事故ですが、日本の場合は歩いている人がひき殺されるのですから、先進国でこんな野蛮な国はないですよ。

*そういう点ではオーストラリア人は人権意識が強いから、庶民にとっては住みやすい国ですね。
ちょっとらんぼうというか、ラフなところはありますけどね。ようするにオーストラリア人というのは細かい、どうでもいいようなことは気にしませんが、人の命にかかわるような大切なことはきちっとやりますね。日本人というのは細かいことをものすごくきちんとやるけれど、命に関わるような大切なことはなおざりにしています。「飛び出すな車は直ぐに止まれない」という標語がありますでしょ。あんなの字の読めない子供には何の役にもたちませんよ。僕、ここに来て初めて、なるほど、と気が付いたことがあるのですが、踏み切りの歩道の部分の柵がジグザクになっているでしょう、初めはなんでかな、と思ったのですが、あれで子供の飛び出しが避けられる訳でしょう。金をたくさん使わなくても、その気さえあればちょっとの工夫でできることがたくさんあるわけですよ。
*本当にそうですね。国民の人権意識の差なのでしょうね。それで、もうオーストラリアの生活は言葉の問題も含めて、お慣れになって楽しんでいらっしゃいますか?

いや、言葉は難しいですね。言葉というのはその国の文化そのものですから、その国の歴史や文化、社会と切り離して考えることはできませんでしょ。日本語というのは書き言葉であって、文の構造からいっても話し言葉ではないですよね。社会的にみれば「男は黙ってサッポロビール」という国ですから。なにしろ黙っている方が偉そうで、僕みたいに話す人間は軽く見られるわけです。こういう国柄では語学が上手くなるわけがありません。英語では大変苦労しています。オーストラリアではコミュニティー・センターなどで移民の人たちが安い費用で英語を勉強できるシステムが整っていて、私もしばらく通っていましたが、そういうところで習う英語とオーストラリアのネイティブ・スピーカーの英語は全然違いますね。一言も解からない、ということがありました。さきほども言いましたように、日本語は書き言葉ですが、英語は話し言葉ですから、耳でまず徹底的に覚えないといけませんね。会話というのはスポーツ、テニスのようなものでリアクションでしょ。これはいくら自分でテキストを読んだり、文章を書いたり、本を音読してもダメですね。それを僕は最近になってやっと気が付いたのです。今までいかに無駄な努力をしてきたことか。それで、私は今でも英語を習っています。習っているといっても大そうなことではなくて、オーストラリア人に週に1度、話し相手になってもらっているのですが、もうこの年になるとなかなか進歩しませんね。

*やはり外国語は覚え始める年齢が大切ですね。習い始める年齢によって勉強の仕方も必然的に変えなければならないと思います。
今、日本では小学校で英語を教える、ということに賛否両論がありますが、私はやはり早いうちから始めた方がいいと思います。ネイティブの良い先生に教えてもらう、という条件がありますが。日本語のオピニオン・リーダーという人たちは日本語が確立されてからでも遅くない、とおっしゃっていますが、私はそうは思いません。絶対に早い方がいいに決まっています。私は自分の娘を観ていても、そう思います。9歳からの2年間で、ごく自然に英語を覚えて、わたしなどよりよっぽど上手な英語を話します。私の方が英語圏に住んでいる時間がずっと長く、娘より百倍以上努力していますが、娘の方がはるかに上手です。
*実は私の息子は英語と日本語のバイリンガルです。日本で半年幼稚園に通園して日本語を覚え、メルボルンに帰ってからは日本人学校に6年間通ったので、ごく自然にバイリンガルになりました。ですから外国語をマスターするということが、どんなに大変なことなのか、本人は全く解かっていないですね。
やはり英語の発音、アクセント、イントネーションなどは早ければ早いほど正確に苦労せずに覚えられますからね。それともう一つ言いたいのは、ローマ字教育、これほど日本人の英語教育を邪魔したものはない、と私はかねがね思っています。ローマ字というのは、あれは要するにひらがなですよね。あんなもの学んで何になるのですか? 英語の発音を覚える妨害にしかなりません。ローマ字を習ったばっかりに英語をローマ字式に読もうとするでしょ? 私はローマ字を習って英語に入っていった世代ですから。英語に関してはずいぶんと無駄な努力ばかりしてきましたが、私も、もう69歳ですから、今さら英語がどうのこうのと言っても始まらないのですが。
*でもメルボルンに住んでいたら英語なしで生活するわけにはいきませんが、ずっと暮らしていらしゃるのですからご立派ですよ。
普通だったら Where is a toilet?  How much? Thank you. ぐらいが言えれば生活できるはずなんですが、この国では、スーパーやお店でよくおつりを間違えるし、銀行でも利子を間違えて計算したりしますよね。そういう場合、英語で抗議しなければなりません。銀行員がそんな間違いをするなんて、日本ではちょっと考えられないことですが。まあ、でも僕はこの国のそういう、ずぼらでおおらかなところが好きなんですけどね。僕の性格にあっているんですよ。
*ご近所づきあいなどもしていらっしゃるのですか?
こちらのお付き合いというのは、他人の生活に入り込んできませんよね。日本のように濃厚になることはないし、かといって冷淡でもないですし。犬の散歩をする時に立ち話を少しするくらいですね。けっこう親しくなった人もいますけれど。
*ではオーストラリアのリタイヤー生活はバッチリ成功、といえますか?
うーん。あのまま日本にいてもこういう生活はできなかったでしょうね。ただ別の生き方もできたかな、とは思いますけどね。
*メルボルンは終の棲家ですか?
いえ、ゴルフができなくなったら帰ろうかと思っています。私たちの年代の者は兄弟姉妹が多いんで、家内の側も私の側も皆健在ですのでね、みんなが健在なうちに。それに家内はここで一人になると困る、といいますので。一人になる前に、ゴルフができなくなったら帰るか、といっているのですよ。
*オーストラリアでは80歳を過ぎてもゴルフをしている人がかなりいますから、まだ10年以上ありますね。
でも私の場合は70も半ば近くなったら体力的に無理でしょうね。まあ個人差がありますが、こっちの人は凄いですね。80を過ぎてもシングルプレーヤーが何人もいますからね。もうバギーを引いている時はよぼよぼしている人が、ティーショットを打つ時はまるで別人みたいですよ。クラブのスイングのスピードが違いますね。速いし音も凄い。私なんか何十メートルもオーバードライブされてしまうんですよ。私が知っているだけでも、80過ぎてそういう人が3,4人います。
*ところで島田さんのゴルフのハンディはいくつですか?
3年前までは23前後で廻っていたのですが、今は27~28で、家内に追い越されるのではないかと、びくびくしています。
*ゴルフは健康に良いそうですからぜひお続けください。
いや以前はそれこそ、週に4回、5回やっても平気だったのですが、最近は2回がせいぜいですね。でもゴルフと囲碁が唯一の楽しみですから。
*ゴルフと囲碁で身体と頭を鍛えていらっしゃるからでしょう、とてもお若くみえます。これからもどうぞ末永くメルボルンでリタイヤー生活をお楽しみください。今日はいろいろと貴重なお話をしていただきありがとうございました。


インタビュー:スピアーズ洋子

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