Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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インタビュー (53)    鈴木月子                                
  
この欄では、有名、無名、国籍を問わず、ユーカリ編集部で「この人」を、と思った人を紹介していきます。今月は、オーストラリアで姿勢均整師をされている鈴木月子さんにお話をうかがいました。
 
*オーストラリアにはいつ頃来られたのですか?

今年の5月でちょうど5年になりますから来たのは2001年です。

*オーストラリアは最初の外国ですか?

いいえ、大学を卒業してすぐにイギリスに行きました。

*それはいつ頃のことですか?

もう30年以上も前のことで、イギリスにいた頃、日本赤軍派がテルアビブの空港で自動小銃を乱射して、世界をあっといわせる事件が起きました。私、当時はロンドンの地下鉄やバスに乗っても、ずっと下を向いて顔を上げないようにしていました。

*日本円もまだ弱くて1ドル360円、ポンドが800円くらいの頃ですね。あの頃海外へ出て行った若者たちの中には、70年安保とか学生運動に関わって挫折感を抱いていたり、社会の既成勢力に反抗していたのに、卒業が近づいたら掌を返すようにすぐ就職する、ということに抵抗を感じていた人がいたようですが、鈴木さんはどういう動機でイギリスにいらしたのですか?
私が学生の時は学生運動盛んな時代で、どのセクトにも属さない学生をノンポリと呼ぶくらい、たいがいの学生は政治に無関心ではいられませんでした。私は体育を専攻していて、体育学部というのはどこの大学でも常に大学側に楯突かない群衆でしたから、当然ノンポリに属しているはずなのです。ところがどこか、今思えば青臭い正義感みたいなものがあって、学生寮の改革運動や大学授業料値上げ反対運動に参加しているうちに、いろんなセクトが入り交じって反対運動をしているのですが、どのセクトにも属さない私も、そのうちアカ呼ばわりされるようになってしまいました。「第一、女が大学に行くとはけしからん、女は貞淑でなければならんのに、おまけに体育学部なんて股をおっぴろげて体操するなんて嫁にもいけんぞ」という考えの時代ですから。学生運動にまで女が関わるとは何ごとだというこの時代においては自分の意志を自由に表現しようとすると叩かれてしまう、女は特に自己主張せず女として、嫁として母として良妻賢母につとめるのが社会が認める女性像でした。また、大学でも大学側に反対する学生は皆、共産主義を意味するアカと断定されてしまう時代でした。事実に反して先輩だけでなく後輩からさえもアカ呼ばわりされて本当につらかったですね。大学を卒業してすぐ就職と言う時に、ありもしないわずかばかりのイデオロギーですが、やっぱり自分が信じて来たことと矛盾するわけですよね。ほとんどの同級生が教員になって行くなか、私は教員になるには未熟すぎると思いました。じゃあ、どうしたらいいかと自分に聞いた時「外国に行って見聞を広げたい、外国人が何をどう考えるのか、ただそれだけを知りたい」という答えがかえってきたのです。
*ロンドンにはどのくらいいらしたのですか?
約3年間いましたがほんとに大変でした。英語もさっぱり上手にならなくて。私の行っていたロンドンの英語学校にはかなり日本人がいましてね、それも坂本竜馬みたいな人が多かったですね。俺は帰ったら首相になるのだ、とかいうような地方の名士の息子さんたちが多かったようです。私、その3年間、ロンドンにいてイギリス人としゃべったことなかったですよ。英語ができなさすぎて機会がなかったですから。しかも日本は今のような経済大国ではなくて、やっと上向きかけてきた頃で、まだまだ発展途上国でした。3年ロンドンで英語を勉強していても、さっぱり上手くならないので、もう帰ろう、と思いました。そしたら知人が、このまま、ただ帰ってしまうのもつまらないから、記念に大学の試験でも受けて帰ろう、といい出しました。だけど大学ではつまらないから、どうせなら大学院の試験を受けて帰ろう、と友だち4人で受験しました。そしたら書類選考で私ともう1人、2人が受かってしまったのです。その後2回の面接を通って合格しました。
*英語が上手くならない、なんておっしゃって、大学院の試験に受かる実力がおありではないですか!

いえ、ある人から助言がありまして、面接の答えを丸暗記していたのです。どんな質問をされても、何故この大学院に入りたいのか、何を勉強したいのか、それだけ一生懸命しゃべって熱意を示して来い、と言われまして、そのとおりにしたら受かってしまったのです。普通は2年間なのですが出来が悪いので3年いて、かろうじて卒業しました。

*イギリスの大学院も体育関係の?
そうです。日本の大学でも体育科で、ずっと体育です。
*イギリスでの生活はいかがでしたか?
最高に楽しかったですね。大学院に入ってからイギリス人の親友もできて、意志の疎通ができるようになってからですね。イギリスでの生活が本当に楽しくなって来たのは。
*大学院を卒業されて日本へすぐ帰られたのですか?

東京の大学に勤め口があるから早く帰って来い、といわれて日本に帰りました。それからずっと21年間勤めておりました。

*姿勢均整師になられたのは何か特別な理由でも?
日本では大学で一般体育を教えていましたが、日本の大学では体育は必須科目なんです。医学部、工学部、文学部でも体育は必須科目ですから、卒業する為には体育を履修しなければなりません。私が教えていたのは運動生理学、実技などです。私自身もいろいろなスポーツをずっとしていて、学外のスポーツ選手のめんどうもみていました。選手たちは手首がいたくなったり、肩や背中が痛かったり、生理痛で授業を欠席するとか、大会に出席できないとか、そういうことがよくあるんですね。どうしたらいいか、ということで、私が治療法を習うことになりました。マッサージ、指圧、針、灸、柔道整復師とかいろいろありますが、その当時私は腰を少し痛めておりまして、その時おせわになった先生が柔道整復師の看板をかかげていらしたのですが、後で聞いたら、実際にされていたのは姿勢均整だったのです。それが姿勢均整を始めたきっかけですね。
*柔道整復というのはどのようなことをするのですか?

要するに骨接ぎ、接骨医のことです。その方はもちろん接骨をなさいますが、力を入れていたのは姿勢均整だったのです。

*姿勢均整を修得するためには、何か特別な学校のようなものがあるのですか?

文部省認定の2年制で姿勢保健均整専門学校(現:東都リハビリテーション学院、4年制)があります。ただここの技術を修得して卒業しても国家資格は取れないのです。

*国家資格がとれないと、どういうことに関係してくるのですか?
患者さんは健康保険や国民保険が使えません。
*それはかなり不利なことですね。
この学校に医者、看護婦、柔道整復師、針灸師など国家資格を修得している人も来ていました。クラスの人数も30人くらいで先生が二人ついて、いい学校だ、と思い入学を決めました。ところが学校は毎日5時45分に始まるのですが、大学は4時半までなのです。上司に相談して授業を30分カットさせてもらって毎日2年間通わせてもらいました。姿勢均整じゃあ国家資格は取れない不利な点はあるけど、技術は高度なもので、柔道整復、針灸の看板を掲げて「あそこはいいよ」と評判のいい治療師はたいがいこの技術を使ってるよ。世界中どこでも通用する、ということでした。
*実際にどのようなことをするのですか?
姿勢均整は姿勢の良し悪しで健康状態を判断します。歪みを取り除くのです。歪みは骨、筋肉だけでなく、それと共に内臓、神経、血管なども含みます。姿勢が歪めば体中を走る血管も神経も内臓も歪むわけです。この歪みのために腰痛になったりオシッコが出にくくなったり、妊娠しなかったりする事もあるわけです。均整をなぜ専門家も学びにくるかというと、例えば腰痛だから腰を中心に揉む、引っ張るなどという局所的な治療はしないのです。まず、左右の顎、肩、骨盤のラインや足首、手足の長さ太さなど全体の姿勢をみます。腰痛でも立ち上がれば歩ける、前かがみで歩ける、右に傾いてなら歩ける、歩き始めだけが痛い、全く歩けないなどの姿勢と症状があります。でもたくさん制限されている動きの中でも何か一つだけ出来る動きがあります。それが一番悪いところをかばっている動きだと均整では考えるのです。つまり、動ける方向に悪いところがあるという考え方です。けれども骨は一つでは関節が出来ませんから何本もの骨同士の接点、関節ができて、体の動きが生まれます。何ケ所かの関節の動きが伴って多様な運動が出来るわけですから、一つの椎間板、一つの骨が問題ではないんです。ほかにもこの痛みに関連しているところがありますよ、という勉強が均整独自の相関関係論です。そしてその相関関係論の基礎になるのが12種体型論というもので姿勢を12種類にわけて、こういう体つきをしている人は、腰椎の1番と頚椎4番と胸椎5番が悪くなり、頭の回転の早いのは、大脳が緊張しやすいので集中力はあるが、大脳が過緊張をする為に寝つきがわるくなってしまいますよ。性格は何ごとも頭で納得しないと行動に移れないから空論で終わる事も多い。それを不言実行と、その人に当てはめても、体がそういうふうに出来てないのだからしょうがないじゃない、なんて姿勢と背骨、内臓、性格、病気まで12種類の体型を学ぶのです。これに関連して山ほどのツボや筋肉、関節、内臓、神経操法があるので、皆さんこれを学びに来るのです。「腰が痛いのに腰なんか最後にちょっと押すだけだよ。首が痛いのに最後に1ー2箇所ちょっと圧するだけだったよ」、と言われるのはこの相関関係を利用するからです。均整は骨をボキボキしません。ただその人の体型に応じますから、必要箇所だけをじっくり伸ばしたり、圧したり、揉んだり、曲げたりします。
*姿勢均整の発祥の地はどこなのですか? 
四国の松山です。
*では日本のものなのですね。
そうです。東洋医学というのは明治までは世襲されていました。ところが明治になって西洋医学が入ってきて、民間療法である東洋医学は禁止されたんです。
*えっ? 禁止! それは知りませんでした。
東洋医学は昭和に入ってから民間療法として認められたのですが、それまでの日本の医学というのは家伝だったんです。お腹が痛い!という場合、ああしろ、こうしろ、という家伝があって、それは嫁にも秘密にして跡継ぎの息子にだけ教える、という形で世襲されてきたわけです。
*そうなのですか? そんなこと、まったく知りませんでした。
そういう制度でずっと続いてきたわけですが、70年ほど前に亀井進先生という方が、そういう家伝を集められて四国の松山で始められたのが姿勢均整の始まりなのです。
*東洋医学というのは元々は中国ですよね。
そうです。けれど針にしても日本では日本針を使います。
*では姿勢均整というのは、日本で独自に開発されたもので中国とは関係ないわけですか?
ありません。何故四国の松山かというと、四国88箇所巡りのお遍路さんの治療をしてあげていたのですね。その評判が全国に広まっていったということなのです。それから姿勢均整という学会ができて、全国の地方都市で講習会を開いたりして、そのうちに学校法人として専門学校がつくられました。
*その学校で2年間学ばれたのですね。
私の場合は夜間コースでしたけれど。コースが終わるのが9時15分でしたが、先生方がまだ残ってくださっているので、11時近くまで練習をして帰宅し、大学では学生をつかまえて、「ちょっとちょっと、姿勢が歪んでいるようだから治させて」と頼んで、何回も何回も練習しました。やはり身体にじかに触れて訓練しないと、いくら話を聞いて本を読んで、頭で理論を理解していても、実際やってみるとできないんです。料理やゴルフや英語と同じで、何百冊の本を読んで頭で解かっていても、実際できない。それと同じことなんです。指や手がピタッとそのツボに触れない、「そこだー、そこそこ!」でなくて、そのあたりにしか指がいかない。だから学生に身体を貸してもらって、実験台になってもらいました。
*それはとてもお忙しい2年間でしたね。
そうですね。「均整の技術は本当にいいです。けれど国家資格はないですよ。あげられるのは均整の技術だけです。これで食べていかなくてはならんのです。だから技術を徹底的に学びなさい。」、ということでいつも練習と勉強に追われてました。
*その学校を卒業してすぐ姿勢均整師になられたのですか?
ええ、大学という所は休みが多くて毎日行かなくてもいいわけで、それで週に3回ほど修業のつもりで開業しました。何しろやらないことには腕も上がりませんから。日本の東洋医学を学ぶ人はたいがい卒業してから弟子入りをします。私も専門学校時代の教授の弟子になりたかったのですが、どうしても弟子はとらないと断られました。半年ほどお願いを繰り返しましたがやはり断られました。でもある時「私の技術は見ていても勉強にはならないですよ」と言われたのです。それじゃあ、患者としてみてもらえばいい、とピンときて電話してもやはりダメの一言。どれだけ電話させてもらったか忘れましたが、ほんとうにようやく患者にしてもらう事ができました。けれど予約は夜の8時、次は10時、11時とか、それも火曜日とか水曜日の明日も仕事があるような時間を指定されるんですね。そしたら私が来なくなるだろうと思われたようです。でもあきらめないで続けたら、とうとう土曜日の午後3時でいいといってくださってそれから11年間通い続けました。「鈴木先生、姿勢が変われば健康になって、性格も変わるし考え方も変わりますよ」という事も私の念頭にありました。実際私は変わることができました。さて、技術ですがツボの押さえ方というのは、親指にかくれてしまって観ていただけではわからないのです。特に恩師の親指や手の平の使い方、圧の深さ、ツボを押している手の上に一方の手が重 なったり、押し方も上から押すだけでなく、どの方向に圧すのか、その都度360度違うのです。タイミングも患者さんの呼吸に合わせて、息を吸っている時、吐いている時、全部違います。また刺激を入れた後も、患者さんの呼吸をはかって次の刺激を入れる間も重要です。これは実際にやってもらうとわかるのですが、見ているだけでは全くわかりません。オーストラリアに来る前までずっと先生のもとに通っていました。
*しばらく大学と姿勢均整の両方をされていたわけですね。姿勢均整を選ばれたのは?
長い事生きているといろんな事があります。聖職の場、大学といっても、どこにでもあるような事が起きています。ここではあまり言えないですが。私も出世はしたいがお世辞は言いたくない、聖職者のふんどしで相撲はとりたくないし、黒いものは黒いと言いたい。結局この二つの狭間で黒いものは黒い、と言うのを選択しました。それは自分の魂に従い直すことでした。それが均整でした。ボロは着てても心は錦~って歌がありますが、私には均整がいいと思いました。大学で私は収入やお休みの面ではとても優遇されていたように思いますが。
*定収があって、しかも休みが多い、というのはなかなか離れがたい魅力がありますよね。

いろいろ考えましたよ。恩師にも相談しました。姿勢均整の技術は確かで高度なものだからそれを一所懸命やっていれば、世界のどこでもやっていけます、といわれました。もっと均整の奥義を学んでいけば、自ずと人生のいろんなことが分かってくるようになるでしょう、と。ただ、どうせなら日本ではなく海外でやってみたい、と漠然と考えていたところ、オーストラリアにいる友人から誘いがあって、オーストラリアに来ることになりました。イギリスに滞在した時もそうだったのですが、私はイギリスの伝統や街並みなどが特に好きだったというのではなくて、そこで知り合った人たちがとてもいい人だったから、イギリスが好きになったんですね。オーストラリアの場合も同じで、オーストラリアの広さや自然に憧れたわけではなく、たまたまメルボルンに友人がいて、その人たちがとてもいい方なので、こういう人がいるオーストラリアなら住んでみたい、とこうなったわけです。

*オーストラリアは上下関係よりも横の関係を大切にする国柄で、黒を黒、白を白と言いつつ、普通に生きる可能性がまだかなり残されているので、その点では合うのではないですか?
そうですね。ただ、今、私がしていることは上下とか白黒とは全く関係がなくて、自分と患者さんだけです。一生懸命やらせていただいて、その後結果がどうなったか、という心配はいつもあります。どうしてあの方の肩の痛みが残ったのだろうか、どうして痛みがとり切れなかったのだろうか、と考えることはしょっちゅうです。精神衛生面では、自分なりの清水ですから自分次第ですが、均整の施術をやらせてもらう以上、透き通っているほうがいい。大学の場合は自分だけのきれいな清水を持とうとしても、いろいろな人の思惑、妬みとかがからみあって、多少は汚れた水を飲まないと抵抗力がつかないよ、みたいなところがあったけど。
*それではメルボルンでは自分の清水を持ちながら、収入の方も良い方向にいっていますか?

それがね。誰もが儲かるだろうと思われるんです。儲けを優先しているなら大学やめてません。施術を優先した結果が現在なんです。時間がきて、痛みや歪みが残ったまま、はい、次、というわけにはいきませんし、時には心配な患者さんの家に立ち寄ったり、患者さんの友人の体の心配を聞いたり、お茶をいただいたり、励ましたり励まされたり、いろいろなんです。そういうわけで施術も短くても40分、場合によっては2時間以上かかることもあります。

*なかなか大変なお仕事ですね。でも鈴木さんのおかげで手術をしないで治してもらった、と喜んでいらっしゃる方のお話を聞きましたよ。これからもメルボルンで良いお仕事をお続けになってください。今日はお忙しいところ、お時間をさいて、いろいろお話しいくださりありがとうございました。

インタビュー:スピアーズ洋子

*コピーライト:ユーカリ出版
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