Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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インタビュー (35)     大島くみ                                 
  
この欄では有名、無名、国籍を問わず、ユーカリ編集部で「この人」を、と思った人を紹介していきます。 今月はオーストラリアで牧師をしていらっしゃる大島くみさんにお話をうかがいました。
 
*オーストラリアにいらしてどのくらいになりますか? 
最初に来たのが1979年から1981年にかけての1年半で、今回は2度目で1995年からですから9年半になります。
*オーストラリアにいらしたのは、キリスト教と関係があってのことですか?                                   
ええ、最初に来た時は、実はオーストラリアが目的ではなくて、ジャマイカが最終目的だったのです。
*ジャマイカ? それがまたどうしてオーストラリアに?
牧師の夫がジャマイカの神学校で宣教師として教鞭をとることになっていて、英語圏でその準備をする、ということでオーストラリアにきたんですよ。
*すごく初歩的な質問ですが、牧師と宣教師とはどうちがうのですか?

どちらも聖書の言葉を伝えるのが目的ですが、牧師は国内の教会で聖書の言葉を指導し、教会を通して伝道しますが、宣教師は国外で聖書の言葉を語り伝えるのが主な仕事なんですよ。

*そうすると、ジャマイカで宣教する相手はそこに住んでいる日本人ですか?
いいえ、現地の人たちです。

*それでは言葉ができなければ仕事になりませんね。ジャマイカは英語なのですか?

あそこは英語です。あのあたり一帯は独立の百年以上前からイギリスの植民地でしたから。それで、行く前に、まずオーストラリアで英語も含めて準備をする、ということでメルボルンに来ました。
*そうですか。 私はカリブ海ということで、なんとなくスペイン語のような気がしていたのですが。ではご主人は英語はすでに不自由なくおできなった? 

いえ、不自由なく、ということはないですが、夫の方はかなり話せました。オーストラリアでも1年半勉強しましたので問題はなかったと思います。

*では、もう少しさかのぼって、大島くみさんがクリスチャンになられたそもそもの動機をうかがいたいのですが。        
一九才の時にクリスチャンになったのですが、その数年前からいろいろと悩んでいました。なんのために生きるのか、何のために今勉強しているのか、生きる意味は何なのか、といったようなことをずいぶんと考えていました。
*まじめで誠実であればあるほど、そういうことで悩む年頃ですね。
それで文学に手がかりを求めて、日本文学の本を一所懸命読みました。でも考えて読んで、読んでは考えていると、もっと落ち込んでいくんですね。どんどん深刻になっていくのです。
*日本文学ではどういう本をお読みになったのですか?
武者小路実篤、志賀直哉、夏目漱石、芥川龍之介、川端康成などでした。
*そうですね。あの時代の日本文学って、人生に対して悲観的でかなり閉塞的ですよね。
それで、これではいけないと思って、音楽を聴いたり、スポーツをしたりして方向転換をはかろうとしました。でもやっぱりどこかに虚しさを抱えていました。高校一年生の時でしたけれど、国語の教科書にあったヘルマンヘッセの小説に出会って、彼の本を読むようになりました。その本の確か裏表紙だったと思うのですが、聖書に関係のある言葉で、「汝、全世界を受くるとも、魂を失なわばなにほどかあらん」、と書かれていました。まさにその通りだ、と思いました。いろいろなことをしていても、心に喜びもないし、目的もないし、虚しかったのです。それで夏休みに本をたくさん買ってきて、ヘルマンヘッセやロマンローランとかトルストイとか、西洋文学をいろいろ読み始めました。ロマンローランの「ベートベンの生涯」という本に衝撃的な感銘を受けました。彼の生涯を表している「苦難を通して歓喜に至る」という言葉に、すごく感動して、いろいろなことを真剣に考え始めました。でも高校生ですから、悩みながらも勉強したり、音楽を聴いたり、スポーツをしたり、遊んだり、という普通の生活をしていましたが、心は満たされなくて、朝起きて、毎日同じことをこのままくりかえしていくのか、と思っていた時でした。母の友だちに熱心なクリスチャンがいて、私のことを母から聞いていたのでしょう。ある日「教会に一緒に行ってみない?」と誘われました。それで一緒に教会へ行って、それから一年ぐらい教会に通いました。でもそこでは社会的、道徳的な話が主でした。私の求めているものは、道徳的なことではなくて、もっと深いものが欲しいのだ、という思いが常にありました。そのうちに大学生になって、その大学に聖書研究会というのがあって、その主催でキリスト教の特別な集会がありました。今でもその日のことはよく憶えているのですけれど、11月14日のもうそろそろ寒くなる頃で、夕方暗くなって、ああ、今日も一日なんとなく終わった、と虚しい気持ちで廊下を歩いていました。その時、廊下に張ってあった「生きがいのある人生とは?」という講習会のポスターが目に入りました。これは私がずっと求めていたものだ、と思いました。14日と15日の2日間だけ、では今日すぐに、と思って、吸い込まれるようにして講習会の会場に行って、お話をききました。それがきっかけですね。
*それから直ぐクリスチャンになったのですか? 
直ぐというわけではなかったのですが。私たちには漠然とした神さま、の観念がありますよね。神社やお寺にお参りしたりとか、私もそうだったのですが、ある時浜辺に行って海を見ていたら、何かこの自然を支配している大きな存在の気配を感じたんですね。何かあるはずだと。それで聖書を読み始めた時、ここに書かれている、聖書で語られている神が、私の求めていた神なんだ、と気が付いたのです。自分が今までどうして虚しさを感じていたのか、と考えて、この宇宙を創造した大きな存在の神から離れていたから、虚しさを感じていたのだ、と納得したのです。それで以前にもまして熱心に聖書を読みはじめました。20歳になる少し前のことですが、キリストによる真の人生を見いだしました。
*ご主人との出会いは?
それから3年後でした。大学を卒業して、教師になろうかどうしようかと、またいろいろ悩んだのですが、やっぱりフルタイムで聖書の真理を伝えたい、と思って神学校にいきました。夫とは神学校で同じクラスでした。
*志を同じくする人との出会いがあったのですね。同じ目的で人生を共に歩いていくという。それで海外へは直ぐ出られたのですか?
いいえ、それから7年後です。夫は神学校に行く前に3年ほど会社で働いていました。お給料も良かったし、いい会社で、そこにいた時に、海外で仕事をしてみる気はあるかといわれて、その頃から海外に興味があって英語も勉強していたようです。でも会社勤めに疑問を抱いて結局やめたのですけれど。
*それはいつ頃のことですか

1966年のことでした。

*当時は国全体が高度成長をめざして、まっしぐらに突っ走っていた頃でしたね。お二人にはそういう状況への違和感のようなものがあったのでしょうか?
そうですね。仕事をしていても、自分だけこんなことをしていていいのか、という満たされない気持ちがあった、といっていました。もともと二人とも社会の矛盾というものにすごく疑問をもって反撥していたのですね。出会う前に二人とも共産主義の勉強をしていたことがあったのですよ。それぞれ別のところで。
*えっ? 共産主義と宗教は相容れないものではないですか?
ええ、私の場合は勉強を始めて三ヶ月ほど経った頃に、違う、私の求めているものはこれではない、とわかって止めました。夫の方は、学生運動が過激な時に大学生だったので、プラカードを掲げて先頭にたってやっていたようです。夫も私も生活に困る、というような家庭で育ったわけではないのですが、「社会の矛盾が許せない」というか、二人とも正義感が強かったんでしょうね。ですから共産主義者の知り合いとか友だちがけっこういるんですよ。党員になった人もいます。その人はいまだに党員ですね。その人の生き方については、私はそれなりに認めて尊敬しています。
*あの当時というのは、今よりも情報がずっと少なかったですからね。私たちには共産主義の実態というのは、わからなっかったですよね。鉄のカーテンの向こう側で、実際に何が行われていたかなんて。それで本で学んだ共産主義にある種の理想を求めるというか、幻想をいだいていたところがありましたね。

ええ、そう、そうなんですよ。だから裏切られた、というような思いを持っている人たちもたくさんいますね。私もグループとか友だちの間でずいぶんとディスカッションしました。でも私の場合は、社会制度の改革というよりは、やっぱり魂の問題、心の中の問題に関心が深かったんですね。いくら社会制度や組織が変わっても、人間の心が変わらなければまた問題にぶつかる、つまりそこには真の人生の解決はない、と思ったのです。

*そうなると、やはり宗教の方に向かいますね。それで神学校に入られてご主人と出会われたわけですね。
そうですね。卒業して結婚してから7年間は日本国内のあちこちの教会で働きました。一番長かったのが佐賀県の教会で6年間いました。その当時、私たちのいた教会の団体では、発展途上国、ケニヤとかニューギニア、インド、ジャマイカなどに宣教師を派遣していました。丁度佐賀県にいた時に、それまでジャマイカに8年間いらした方が、お子さんの教育とかを考えて、日本に戻ってくることになったので、そのあとがまとして私たちが行くことになりました。その準備を英語圏で、ということでオーストラリアに1年の予定できました。1年で私たちの方はだいたい準備ができたのですが、今度はジャマイカの方で暴動が起きて政情不安になってきたので、オーストラリアでしばらく待機していました。そのうちに政情が落ち着き、1981年の1月にオーストラリアからジャマイカへ行きました。
*お二人だけでいらしたのですか?

いえ、6歳と7歳になる娘を二人連れて家族4人で行きました。遠かったですよ。まずオークランド、それからハワイ、ロサンジェルス経由で、十日ほどアメリカに滞在した後、ジャマイカに着きました。飛行機を出たとたんに、空気が暖かくてむーとしました。夫はついたとたんに「沖縄みたいだ」といっていました。着いたらまわりは黒人のひとたちばかりで、でもああ、私たちが来るべきところにきたんだ、という感じがしました。オーストラリアは白人の国で、ジャマイカに来たら、そこは黒人の国でしたが、ぜんぜん違和感は感じなかったですね。主人の仕事というのが、ジャマイカで牧師になる人を養成する神学校で教鞭を取る、というものだったので直ぐに教会と神学校があるところに行きました。

*住宅も教会の敷地内にあるわけですね。ジャマイカのキリスト教徒の人口はどのくらいでしたか?
約80%がクリスチャンでした。80%の人たちが教会に通っていました。でもほとんどの人が聖書も賛美歌の本も持っていなかったです。でも教会に行く、という敬虔な信者の方たちが多かったですね。周囲の方たちにはお爺さん、曾お爺さんが奴隷として連れて来られた、という人がたくさんいました。
*奴隷として連れて来られた人が多い、ということですが人種構成とか経済とかはどうなっているのでしょう?
ジャマイカの原住民と、奴隷として連れてこられたアフリカ人たちがほとんどですね。奴隷が禁止されてからは、労働力が不足しましたので、イギリスは労働力をおぎなうためにインドからインド人を連れてきたので、インド人もかなりいます。だから本当に真っ黒な人もいれば褐色の肌の人もいました。人口の90%以上がアフリカ、インドから労働力として連れて来られた人たちを先祖にもつ人たちですね。
*当時イギリスは植民地をたくさん持ってましたからね、インドを初めとして。当時そうやって勝手に人間を移動させたことが、現在、紛争の種になっているところが多いですよね。でもそんなに労働力を必要とした、ということはイギリスはシュガープランテーションか何かの農産業をやろうとしていたのでしょうね。それで現在の国の経済は何でなりたっているのですか?
観光が主ですね。アメリカからの観光客が多くて、それこそアメリカの避暑地、といった感じでしたね。シュガープランテーションもありました。古い写真とか絵にありました。私たちのいた教会と神学校の敷地の直ぐ隣がサトウキビ畑でした。果物がたくさんあってマンゴーなんか十種類いじょうありましたよ。とってもおいしいの。農家もあるにはあるのですが、農業というほどではなくて、やはり観光で成り立っていたようです。
*貧富の差などはどうでしたか?
やっぱり発展途上国の特徴で貧富の差はかなりありました。
*そうするとどういう人たちが富の側にいるのでしょうか?
政府関係、ドクター、歯医者さんといった人たちですね。こういう人たちはイギリスで勉強して戻ってきた人たちです。でもこういう人たちは本当に一部で大半は貧しい人たちです。首都のキングストンのある地域では立派な豪邸が立ち並んでいて、その直ぐ隣りはあばら家ばかり、という所がありました。もうすごくはっきりしていて、こちらを向くと豪邸、あちらを向くとあばら家なんです。ある道路では鉄条網が張り巡らされていて、はっきりと区別されていました。
*そういう所があるんですか。その金網で区切られた向こう側にもこちら側にも、クリスチャンはいるわけですね。
ええ、私も二、三度用事で金網の向こう側の豪邸の方に行ったことがありますが、クリスチャンは少ないような印象をうけました。
*二人のお嬢さんの教育はどうされたのですか?

現地のインターナショナル・スクールに入れました。小さな小さな学校で全校で30人いなかったでしょう。先生が3人だったかな。ですからクラスも二つくらいしかなくて。学年もみんな一緒で、それこそ読み書きそろばん、といったようなことを教えていました。みんな裸足で、のんびりと楽しそうでしたよ。

*ご主人は神学校で教鞭をとられて、その間に大島さんはお嬢さんの教育や家事をされて、その他には何かされましたか?
少しピアノをやっていたのでピアノを教えたり、合唱の指導を少ししました。それと教会の日曜学校で子供に聖書をどのように語るか、というクラスがあったのでそれも少し担当しました。でも始めてそんなに経たないうちに主人が亡くなりましたので、ほんの駆け出しでやめることになりました。
*まあ、それは本当に大変なことでしたね。ジャマイカに行って何年くらいの頃でしたか?
いえ、行った年の8月20日ですから、1年も経っていなかったのです。ジャマイカに行って、8ヵ月後でした。
*事故かなにかだったのですか?

心臓麻痺だったのです。子供たちと海に行って、浅瀬でスノークルをつけてもぐったりして遊んでいた時でした。お医者さんの診断では心臓麻痺ということでした。それで翌月9月の半ばに日本に帰りました。

*そうだったのですか。何と申し上げていいのか、本当に大変なことでしたね。
日本に帰ってから10年ほど牧師として、小さな教会で伝道師の仕事をしました。その間に、最初にオーストラリアに来た時にできた友達から、あの頃に比べると日本人がどんどん増えてきて、メルボルンには日本人学校もできました。クリスチャンの数も増えています。日本語で聖書を勉強できるように、メルボルンに来てくれませんか、というお誘いを受けていました。娘二人の成長をみながら、どうしようかと考えていました。下の娘の方は動物が好きで、動物環境保護の勉強をしたい、といってすでにメルボルンにきていました。1979年に最初に来た時からメルボルンのことはずっと気になっていて、ジャマイカから戻って日本で牧師をしていた間に3回ほどメルボルンにきました。上の娘が大学を卒業したのをきっかけに、お母さん、メルボルンに行こう、ということになって1995年に一緒にメルボルンに来ました。
*メルボルンには日本人のキリスト教徒は何人ぐらいいるのでしょうか?

2年前の数字では、プロテスタントは40人くらい、と聞いています。

*日本人のキリスト教徒で日本に住んでいる人とメルボルンに住んでいるキリスト教徒で違うところはありますか?
基本的にはありません。ただ日本ですとクリスチャンはすごく忙しいのです。週日は時間に追われて働いていて、日曜日に教会へ礼拝に行きますが、その後に日頃溜まっている用事とか奉仕の仕事とかありますから。夜はまた集会に出たりしますから、本当に日曜日はいそがしいのですね。責任感も強くてまじめな人が多いですから、無理をしてでもきちっとすることをします。だから日本のクリスチャンは忙しすぎて疲れているみたいですね。こちらは日曜日は家族の日、だから礼拝が終わったら家族で時間を使いますね。お友だちを招いたりしてゆっくりランチをとったりしますでしょう。だから時間に余裕があります。こせこせしないでゆとりのあるクリスチャンとしての生活ができますね。
*ああ、それはキリスト教徒に限らず日本とオーストラリアの生活の仕方の違いともいえますね。それで現在メルボルンではどのような活動をされているのですか?
午前中はキャンバウエルの教会で礼拝や教会のいろいろなことをしています。そして週日の午後に「聖書を一緒に読みましょう」、ということで週に3回ぐらいグループで聖書を読んでいます。場所も数箇所のみなさんのご希望の場所でしています。
*何人ぐらいのグループなんですか? 
そうですね、グループによって場所や日によっても違うのですが、ほんとに小グループで平均すると4,5人ですね。場所も皆さんのお宅でする場合が多いですね。フレンドリーで穏やかな雰囲気です。人数も少ない方が落ち着いて深く読むことができます。私は聖書はもう何十年も読んでいるのですけれど、読むたびに新しい発見があるのですよ。
*今の世界は、中近東でもそうですが、宗教的な対立が激しくなっていますね。特に9月11日の出来事以来、キリスト教徒とイスラム教の対立とか。宗教をもとにした文明の衝突とか、いわれますがそういうことについてはどうお考えですか?
そうですね。2000年の歴史を見ても、人間はずっと対立や戦争をしてきていますね。宗教戦争もあったし、キリスト教のなかでもカソリックとプロテスタントが争っていた時期もあります。私は実は宗教という言葉自体、嫌いなんですよ。派閥を作って権力争いをしたり、政治とむすびついたりしてはいけない、と思っています。そういうのは聖書から離れているし本当の信仰とはちがうと思っています。
*ブッシュも、最初の時も今回の再選も evangelical (イーヴァンジェリカル)の強力な支援があった、といわれていますね。(*evangelical 福音主義者。キリスト教の一宗派で非常に熱心かつ強力に伝道し、社会、政治に活発に働きかけている。)
そうですね。ただ、イーヴァンジェリカルの中にもいろいろな考えの人がいるし、ブッシュを支持している人の中にも、彼のある面は支持するけれど、この点は支持できない、という人がいて、いろいろな要素があると思います。私は純粋な信仰というものは、個人の心の問題で、政治権力とは関係ないものだと思っています。
*では中近東でモスラムの人たちがイスラム教を信じていることは、それはそれとして認められるのですか?
私は人間が人間を裁くことはできない、という考えなので、自分が正しくてそっちは間違っている、と一方的な批判をすることは避けたい、と思います。ですからモスラムの人がイスラム教を信じていることにたいしても、だから認める、ということになるのでしょうが、私は導かれた真理の道を歩み、信仰を大切にして、機会がある時に人に伝えて共有していきたい、と考えています。
*そうですね。大島さんのような方ばかりだと、世界は平和なんでしょうけれど。これはオーストラリアの新聞に掲載されていたのですが、アルカイーダが発表したテロの対象に、キリスト教徒、仏教徒、無信仰者と出ていました。えっ! この人たちは世界を相手に戦う気なのかしら? と思いましたけれど。彼らは非常に狂信的で偏狭的ですね。
これは日本のクリスチャンの方から聞いた話なのですが、あるモスラムの方でイスラム教を信じていたのですが、途中からキリスト教に信仰を変えた方なのです。現在日本で仕事をなさっているのですが、9月11日の事件の後で、その方がイスラムの世界から来られた、ということでインタビューを受けました。その時、彼が言ったことで非常に印象に残った言葉があって、それは、あの9月11日の後、世界のクリスチャンの中でたった一人でも、「私たちはあなた方を裁けません。あなたがたのしたことを許しますよ。」と、いった人がいたら、その後の世界は変わっていただろう、ということをおっしゃっていました。
*それは素晴らしい、感動的な言葉ですね。でもやっぱり、そうはなかなか言えないでしょうね。神様でもない限り。
そう、そこなんですよ、私たち人間は。
*特にブッシュなんか、お前は敵か味方か、イエスかノーか、っていって、味方でなければ敵だ、と公言していましたものね。イスラムにしても目には目を、の世界ですからね。
そうですね。ああいう世界を動かす大きなことに限らず、日常の問題でも自分が絶対正しい、として他を批判する姿勢自体が結局問題を解決させなくしている、ということはよくありますね。
*でもある宗教を信じることによって、自分の信じている宗教が正しくて、そっちが間違っている、と信じこむ場合が多いのではないですか?
そうですね。キリスト教にもいろいろ宗派がありますから、私も若いときは自分が正しい、と信じていろいろディスカッションとか、しました。その過程で、相手を批判したり、ということもあったのですが、でもだんだん経験を重ねてきて、自分についても解かってきますよね。自分の足りなさ、弱さ、罪深さが解かってくると、ますます相手を非難したり裁いたりできなくなります。そして人間の弱さ、限界というものを知らされると、その中で生きていることの意味が、大切に思われます。そして弱い限界のある人間同士が共に愛と真理を求めて生きていく、ということですね。
*僭越な言い方かもしれませんが、それは大島さんが年齢と共に人間として成熟してきた、ということでもあるのでしょう。私なんかは信仰をもっていないせいかもしれませんが、最近はテレビのニュースでも新聞でも、本当に嫌なことばかりで、人間に対して絶望的になりますね。世界で何が起きているか知ったところで、自分にはどうにもできないことばかりですし、フラストレーションが溜まるばかりで。まあせめて家庭内とか友人関係、近所となりだけでも、争わないようにしようと思いますけれど。それで話は変わりますが、現在は「聖書を一緒に読む」といことを主になさっているわけですか?

ええ、聖書を読むこととカウンセリングをしています。カウンセリングという言い方はあまり好きではないのですが、相談されたら、お話を聞いて、一緒に考えていく、ということですね。私には神様という大きなカウンセラーがついていてくださる、と思うからその教えに従って、ということでできるのだと思うのですが。

*毎日充実していらっしゃるようですね。二人のお嬢さんも成人されて、もう社会人ですよね。やはりクリスチャンですか?

そうなんですよ。もう孫が6人います。ついこの間、6人目が生まれました。それぞれ8年前と5年前に結婚して、娘たちもクリスチャンで夫たちもクリスチャンです。

*まあ、それはお幸せですね。では将来どうこうというよりは、このままの毎日を大切にしていくということで。

そう、感謝しています。いたらない私でもこんなに恵まれて。実はこの間、大島さんはリタイヤーするのですか、と訊かれたのですが、私はリタイヤーしなくてもいいと思っているの。身体さえ丈夫で話したり読んだりすることができれば、このまま仕事を続けていきたいと思っています。

*年を取れば取ったなりに、できることがありますよね。今一緒に聖書を読んでいる方たちも、共に年をとっていくのですものね。今日はお忙しいところを貴重なお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。
                                   インタビュー:スピアーズ洋子

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