Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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インタビュー (4)    「ヘレン ムザーカス
 
この欄では、有名、無名、国籍を問わず、ユーカリ編集部で「この人」を、と思った人を、紹介していきます。今月の「この人」は、小さい時家族と共にギリシャから移民してきて、幸せな家庭生活を送っていられるヘレンさんをお訪ねしました。
 
*ヘレンさんの苗字は何とおっしゃいますか?
Mouzakis(ムザーカス)です。主人の家族の名前です。
 
*ギリシャ人には多い名前ですね。家の娘が行った学校の英語の先生が ミセス ムザーカスでした。
そう、家の末っ子が今同じミセス ムザーカスから英語を習ってますよ。
 
*オーストラリアには、何才の時移って来られましたか?
1954年、3才の時です。
 
*家族は何人でしたか?
父と母と、12才の姉、7才の兄、そして私でした。
 
*小さい頃の思い出はありますか?
初め、フィッツロイに住んでいたのですが、父も母も工場に働きに出てしまってさびしかったのを覚えています。同じ頃、叔父家族も移民して来ていっしょに住んでいました。同い年の従姉妹がいたので、その子といつも遊んでいましたが、母にいつもそばにいてもらえなかったので、やっぱりさびしかったですね。でも9才の時から、母は家にいてくれました。
 
*ヘレンさんは小さかったから知らなかったでしょうが、大きくなってから移民して来た理由は聞きましたか?
ええ、いつも両親が話してくれましたからね。他の移民の人達と同じでもっといい暮らしがしたかったからです。
 
*移民として嫌な思い出はありますか?
私は小さかったし学校へ行く頃には英語もできるようになっていましたし、移民に対する扱いも大分よくなってましたけど、姉は学校では英語ができないとしかられ、体罰があったりとても嫌な思いをしました。結局姉は14才で学校をやめて美容師学校に行って美容師になりました。私達は昔WOGSと呼ばれました。
 
*WOGという言葉、私自身は使いませんが、子供達の会話の中で知る限り南米の人を指すのだと思ってましたが。
WOGと呼ばれる人は時代と共に変わるのでしょう。昔はイギリス人以外皆 ヨーロッパの人達もWOGと呼ばれましたよ。
 
*でも見た目変わらないじゃないですか。
いいえ、身なりです。移民は皆貧しい村から来たでしょう。服は旧式だしみすぼらしいし、メルボルンのオーストラリア人はモダンな格好だったし、しゃべらなくったって一目で分かったんです。
 
*学校は普通の公立の学校へ行きましたか。
ええ。父の仕事場が変わったり、姉の美容院の近くになったりと小学校は3回も変わりました。グリークオーソドックスがやっているギリシャ人学校にも週末だけですけど3年間行きました。
 
*ヘレンさん、宗教はグリークオーソドックスですか。
両親はそうですけど、私は若い時他の宗派に改宗しました。グリークオーソドックスの人達はそれ程熱心じゃないですね。年に2,3回教会へ行くだけです。
 
*ご両親は信仰熱心でしたか。
父は全然。母はまぁ信仰心がありましたね。
 
*どうして改宗したのですか。
高校の終わりの方で、仲の良い友達が次々と学校をやめて行ってしまってさびしくて、気持ちがとても落ち込んでしまいました。1年公務員の仕事をしてみましたけど、体調をくずしてしまったので、ギリシャに1年帰ってみました。それでも、大して良くならず、お医者さんにもかかりましたが薬をくれるだけで一向に良くならないでいました。私、 親とも余り話をしなかったので、一人で3、4年悩んでいましたけど、20才の時ある人が教会のMinisterと話してみたら、と誘ってくれ出かけていきました。気持ちがとても落ち着いて救われた感じでした。それ以来信仰は私の生活には大事なものになりました。主人とも教会で知り合いました。子供達も教会とのつながりの中で育てました。主人は12才の時この宗派に入っています。
 
*子供さんは男の子3人でしたね。英語とギリシャ語のバイリンガルで育っていますか。
そう、バイリンガルと言えば言えますが、やっぱり英語のほうに片寄ってますね。週末は教会のギリシャ語学校に6年間通わせていたので、私より長く習ったのですが、州立の学校に行かせましたから、だんだん英語になってしまいました。 小さいうちは家の中はギリシャ語で子供達もそれは上手でしたよ。
 
*他の人、ご主人や親戚の人とは何語で話しますか。
主人とはギリシャ語と英語半々、どちらかと言うとギリシャ語の方が多い感じです。母とはギリシャ語だけ、姉とは半々、でも英語の方が多いかしら。
 
*ギリシャの人達のイースターはこれからなのですね。5月初めですか。
ええ、たいていずれてますね。何年か前、同じだった時もあるんですが。どうしてだか私も分かりません。
 
*イースターはどのように過ごしますか。
教会に行って、それから親戚中集まります。毎年どこかの家に決めてそこに、皆手料理を持って集まります。20~30人位の人数になります。今年はまだどこの家にするか決めてませんけど。
 
*料理はどんなものを作りますか。
私はイースターのビスケット、クロラキアを作ります。他にイースターのケーキと言うとツレキ(Tsoureki)があります。パンのようなケーキと言ったらいいんでしょうか。卵と粉と砂糖とイースト、それとマフレッピーという香料を入れて丸く大きく焼きます。それと、ピタ(Pita)と言う大きなパイを焼きます。中味はフェタチーズ、ほうれん草、リーク、ステーキ肉を切ったもの、玉ねぎ、ご飯等、人に寄って多少違いますけど、これを丸く大きく、または長方形に焼きます。 スパゲティーにミートソースとホワイトソースをかけてオーブンで焼くパステチオというギリシャ料理も作ります。冬向きのおいしい熱々の料理で、私は大好きでよく作ります。その他、バーベキューもしますし何でも作りますよ。特にギリシャ料理だけにこだわりません。


*日本ですと、1年に1回お正月だけに作る伝統料理があるのですが、ギリシャではイースターの時しか作らないものありますか。
特にないですね。私クロラキアが好きなので、年に3,4回作りますもの。
 
*お家の中にピアノやオルガンがありますけれど、ご主人が弾かれるのでしたね。前はここにグランドピアノがありましたね。
ええ、大きすぎて場所をとるので、売ってしまいました。主人、趣味で弾くだけなのですよ。ちょっとは先生に習いましたけど、後は自分で弾いています。教会でオルガンも弾きます。家の子供達にも主人が手ほどきはして、後はレッスンに通わせ、3人とも弾きます。
 
*ご主人はギリシャにいた時からピアノを弾かれたのですか。
いいえ、18才でここへ来てから弾き始めました。
 

*ご主人はパンの配達のトラックを運転されていましたね。焼きたてのパンをいただいておいしかったのを覚えてます。
ええ、でも工場が遠くへ移ってしまって、通うの大変なので辞めてしまいました。今は弟の農場を週3日手伝っています。失業手当をもらってます。
*若い時からずっとパンの配達のお仕事でしたか。
若い時はCIGというガス会社で長年働いてました。
 
*上の息子さん2人はもう働いていらっしゃいますか。
ええ、上の子(26才)は車関係の仕事、次の子(25才)は仕事がなかったのですがパートでやっと見つかりました。3人目は高校2年生。
 
*大の男4人の食事作りでヘレンさん忙しいですね。
そうですね。うちでは夕飯が早いので、4時半から5時に食べますから、今も夕食のお鍋火にかけてますよ。ダックをトマトピューレで煮てます。匂いをかいでごらんなさい。ニッキの香りがするでしょう。これをご飯にかけるんですよ。
 
*ところで、移民の国オーストラリアにヘレンさん自身移民で来て、普段の生活でどのくらい他の国の人とお付き合いがありますか。
そうですね、この近所、隣はドイツ人とチェコスロバキア人の夫婦、お向かいの人達はイギリス系のオーストラリア人、でも深い付き合いはしてませんし、 教会の人達は皆ギリシャ人、親戚も皆ギリシャ人・・・とほとんど他の国の人は知りません。特に理由はないのですけど。
 
*まわりで国際結婚する人はいませんか。
皆ギリシャ人同士で結婚しますね。あ、そう。教会の人でスリランカの人と結婚した人がいました。でも私の方も主人の方も皆相手はギリシャ人です。
 
*それでは、ヘレンさんの知っているアジア人、私だけというわけですね。今日は楽しくいろいろお話聞かせていただいて、ありがとうございました。 また来ますね、料理教わりに。
またいらしてください。今度はパステチオ教えてあげますね。
インタビュアー       前田晶子

注 ヘレンさんの教会はイバンジュリカル(Evangelical)というプロテスタントの一派で福音協会派と呼ばれているもの。
 
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