Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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この国の成り立ち (25) 

        ゴールドラッシュ   1

前田晶子

1851年突如として始まったかに見えるゴールドラッシュですが、これよりもずっと早く1820年代からニューサウスウエールズで何回か発見されていました。しかし、ゴールドラッシュは犯罪を増やすのではないかと恐れた政府は、金の発見を公にしませんでした。羊毛産業や農家の人々も、労働力をゴールドラッシュに取られるのを恐れていました。金を見つけた人々も、政府の土地で見つかった金は政府のものと思っていました。 

 ところが、1849年アメリカ、カルフォル二アのゴールドラッシュが始まってみると、労働力である男の人々は富を求めて続々オーストラリアからアメリカに出て行ってしまいました。小麦産業、羊毛産業は働き手を失って困るようになりました。政府は、今度は金の発見を奨励する方針に変え、1万ポンドの賞金を金の第一発見者に出すと1851年に発表しました。 

カルフォルニア帰りのハーグレイブス(Hargraves)は、同年、ニューサウスウエールズのサマーヒルクリークで金を見つけ、自分が一番だと政府に請求しました。数年前からその辺一帯でもっと大きな金を見つけていた人達がいたにもかかわらず、賞金は彼の手に落ちました。1851年の賞金発表以前だから無効というのが、政府の言い分でした。そして、1851年5月15日、金の発見は新聞に華々しく発表され、ゴールドラッシュの幕が切って落とされました。人々は一攫千金を求めて、金鉱の町に押し寄せて行きました。 

一方、ビクトリアでも、労働力が隣のニューサウスウエールズに流れていくのを恐れて、1851年金の発見に賞金を出し、数ヵ月後には金が次々と発見されていきました。現在金鉱の町として観光客を集めているバララットばかりでなく、大きな町で15箇所、小さな町で30箇所以上にも及びました。ビクトリアのゴールドラッシュは他のどこの植民地よりも長く、盛んでした。メルボルンの港ポートフィリップ湾は世界中から集まってきた帆船で、埋め尽くされたと言われています。


・主な参考図書 

Dreamtime To Nation   by    Lawrence  Eshuys  Guest MacmillanAustralia)          Investigating Our Past  by    Sheena Coupe (Longman Cheshire
A Country Grows Up  by  J.J.Grady   (Cassell Australia)

その他の参考資料は連載の最後にまとめて表示します。

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