Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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この国の成り立ち (23)

           バークとウィルス(BURKE AND WILLS)   2


              

                                                                  前田晶子

 バークに先立つこと、5ヶ月前の1860年3月、南オーストラリアからはスチュアート(Stuart)が率いる一行が北を目指して出発していました。委員会から彼らより先に北のカーペンタリア湾に着くようにと手紙で言い渡されていたバークは、最初からあせっていました。学術探検隊であるはずのものが、競争の感を帯びてしまったのは、バークの性格のせいばかりではありませんでした。

早く早くと気のせくバークは先を急いだので、馬とらくだで重い荷物を運ぶ部隊はずっと後方に残され、探検隊の行列は何キロにもわたっていました。10月初めには、一行はメニンディー(Menindee)に着きました。当時メニンディーは白人居住地の最北端でした。これより先はまだ誰も行ったことがなかったわけです。ここに到着する前に、膨大な荷物のどれを優先させるかで、早くも隊長のバーク、副隊長のランデル、医者のベッカーの間で争いになりました。壊血病予防のライムジュース持って行くべしと主張するランデルとベッカーは怒って探検隊を辞めてしまいました。ランデルはメルボルンに引き返し、委員会にバークの無謀を訴えました。新聞にバークをこき下ろす投稿もしました。しかし、副隊長たる者が任務を放り出し、しかも自分の上司を悪し様に言うとはけしからん、 と反って人々の非難を浴びてしまいました。バークは、足手まといだとライムジュースだけではなく、らくだの壊血病予防のラム酒、調査用の機材もどんどん捨てていきました。一行は、メニンディーにしばらく留まりました。

 
 バークはウィルスを昇格させ、副隊長にしました。また自分の直属の部下を一人解雇してしまっていたので、新たにライト(Wright)を雇いました。ライトは現地に詳しいという触れ込みで雇われました。「自分はブッシュマンである。」という彼の言葉と人物を安易に信じたバークは、ライトを探検隊のナンバー3にしました。後にバークとウィルスの悲劇の要因を作ってしまったライトでしたので、後年、バークの人を見る目のなさが指摘されました。

この後探検隊はメニンディーを基点としてさらに奥へ進み、クーパークリークを目指し、そこにベースキャンプを置き北への道を開く計画でした。とにかく早く北へたどり着きたい一心のバークは、隊を2分しました。バークとウィルスを含む8人の隊員は先発隊として4ヶ月分の食料とともに10月19日出発しました。元気な15頭の馬と16頭のらくだを連れて行きました。夏に向う季節は避けた方がいいというメニンディーの人たちの忠告を聞かずに旅立つバークたちを、人々は不安げに見送りました。数日はライトの道案内で進んだ一行でしたが、バークはライトをメニンディーに引き返させ、残りの本部隊を案内してバークたちを追いかけるように命令しました。その時、委員会あての手紙(ライトをナンバー3に任命するという内容。)を持たせました。思いの外快調な旅を続け23日目の11月11日、クーパークリークへたどり着きました。大陸の半分まで来たことになります。湧き水とユーカリの木のある快適な場所を見つけ、ベースキャンプを設置しました。

約1ヶ月、バークはいらいらしながら、ライトが残りの部隊を連れてくるのを待ちました。ライトがまだメニンディーに留まっているなどとは、知る由もないバークでした。痺れを切らしたバークは、また隊を2分して、ウィルス、キング、グレイを連れて12月16日北へ出発する決心をしました。彼の決心をうながしたものは、北方の空の黒雲と稲妻でした。後にこの日は不運の日(black day)と呼ばれました。バークの決意の裏には常にライトがすぐに追いついて本部隊が食料を運んでくるという安心感がありました。3か月分の食料と馬1頭、らくだ5頭を連れ、4人はクーパークリークを後にしました。残り部隊の4人の中のブラー(Brahe)をリーダーに決め、バークはこう言い残しました。「3ヶ月はバークたちの帰りを待つように、しかしできる限り留まっているように、よんどころない事情でメニンディーに戻る時にはバークたちのために食料を残しておくこと。」

雨に恵まれて、バークたち4人の旅は快調でした。砂漠を無事わたり終え、いよいよモンスーン地帯に入っていきました。土砂降りの雨に難儀しながら進みました。またもやバークは隊員を分けなければならなくなりました。キングとグレイをキャンプに残し、バークとウィルスはマングローブの湿地帯に分け入って行きました。波の打ち寄せる海岸までたどり着いて、北の海を見たかったバークでしたが、マングローブの茂みに阻まれて、もうそれ以上進めなくなりました。しかし、水が塩辛く、満ち引きがあることは海がすぐそこだという証拠です。クーパークリークを出てから57日目、1200kmを踏破してバークは成功したのです。1861年2月11日でした。

・主な参考図書 

   Dreamtime To Nation   by    Lawrence  Eshuys  Guest Macmillan Australia
   BURKE AND WILLS  by ROLAND HARVEY (SCHOLASTIC)
      AUSTRALIAN EXPLORERS BURKE &WILLS by JO JENSEN ( PETA BARRETT)
      BURKE & WILLE by Randal Flynn (The Macmillan Company)

      その他の参考資料は連載の最後にまとめて表示します。

 

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