Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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この国の成り立ち (21)

                広がる植民地 (2)

                                                                  前田晶子

 フランスの脅威と手に負えない囚人を離れた場所に送る必要から、まず初めに選ばれたのはタスマニアでした。その頃はまだバン ディエメンズ ランド(Van Diemen's Land)と呼ばれていました。現在のボバートとローンセストンに最初の町ができました。1825年、ニューサウスウエールズから独立し、1853年タスマニアと改名されました。このように、呼び名の改名には年数がかかり、オーストラリアも初めの呼び名、新オランダ(New Holland)は1849年まで長い間使われていました。しかし、フリンダース船長は早くからオーストラリアと呼ぶべきだと提案していました。マッコーリー総督も在任中から書類にはオーストラリアと記入していました。
 
 ビクトリアもタスマニアと同じ頃から植民地設置の声が挙がっていましたが、たまたま悪い場所を見てきた探検隊の報告が芳しくなかったり、せっかく探検隊が良い場所を見つけてきても、同じ場所にたどり着けなかったりと、政府関係からの試みは2回も流れていました。1830年代に入って、ビクトリアは民間人の手によって拓かれていきました。タスマニアで羊産業を興していた牧場主一家が新しい牧草地を求めて183年海を渡ってきました。場所はポートランド(メルボルンの西300km)でした。現在のメルボルンの市街地は、ジョン バットマンという青年のおかげで出来上がっていきました。彼はそこに住んでいたアボリジニー部族の長と交渉し書類を取り交わして、今のメルボルン市の土地を買い上げました。といってもアボリジニーにお金を払ったわけではありません。毛布50組、ナイフ50本、斧50本、はさみ50本、鏡50枚、服地20着分、小麦粉2トンといったものでした。これが有名なジョン バットマンの取引と呼ばれているものです。土地の所有権などと言う感覚を全く持たないアボリジニー相手のこのような取引には、批判の声もあがりました。実際政府はバットマンの取引を認めませんでしたが、7000ポンド相当の土地を選んで開発する権利を与えました。1851年ビクトリアもニューサウスウエールズから独立しました。

西オーストラリアも、フランスの脅威から守るための海軍の基地によい土地として1826年開発された植民地でしたが、人口は増えず、労働者不足でなかなか発展しませんでした。すでに囚人の流刑は取りやめになっていたのですが、本国に頼んで囚人を送り込んでもらい、労働力に当て、1890年ようやく独立しました。

南オーストラリアは唯一囚人を使わずに、発展した植民地です。1788年の入植当時から、土地は政府から交付されるもので、買うものではありませんでした。本国では、この制度は特定の一部の人ばかりが大きな土地持つようになってしまいよくないのではと見直しがされていました。土地は妥当な値段で売られるべきものという考え方が有力になり、この方針にのっとって、1833年、最初から自由移民だけで出発したのが南オーストラリアです。総督の努力により次第に発展し、1850年、独立しました。

クィーンズランドは問題ある囚人を送る刑務所が2箇所あったところですが、次第に刑務所から離れた場所に自由移民も入植するようになりました。1824年ブリスベンの町ができ、1859年独立しました。

現在ノーザンテリトリーと呼ばれている所は、当時はノーザンオーストラリアといわれ、又違う方法で成り立ちました。1840年にはもう囚人は送られてこなくなっていましたが、イギリスではやはり多すぎる囚人の扱いに困っていました。刑期の短い囚人で植民地を作る案がまとまり、1845年、囚人が北方オーストラリアへ送り込まれました。

こうして現在の六つの州の元となる植民地が出来上がっていきました。

 

・主な参考図書 

Dreamtime To Nation   by    Lawrence  Eshuys  Guest MacmillanAustralia
1822-1850 Our Explorers  school project material (Child & Henry)
A Country Grows Up  by  J.J.Grady   (Cassell Australia)           
その他の参考資料は連載の最後にまとめて表示します。 

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