Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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この国の成り立ち (6)
―――オーストラリアデー(1月26日)―――
前田晶子 
やっとたどり着いたボタニーベイでしたが、アーサー.フィリップの見るところとうてい人が住み着けるような所ではありませんでした。しかも港として不適当でした。クック船長に同行した植物学者バンクスは18年前ここに上陸しています。後に彼は、作物が作れる土地としてボタニーベイを推薦しましたが、そのようにも見えませんでした。バンクスは流刑地をどこか決めなくてはと焦っていた当時の社会の気運におされて、最適の場所と思ってしまったのかもしれません。学者ではあっても、農業の心得がなかったのは確かです。
時前にクックの報告書を読んでいたフィリップはただちにハンター船長を伴って3隻の船でさらに北の方を探検しました。クックがポートジャクソンと名づけ、港によさそうな所と述べている、通り過ぎただけの湾があるはずです。用心深いフィリップは、ポートジャクソンがここより好条件でなかった場合に備えて、一師団にボタニーベイ上陸の準備を命じておきました。
クックの見立てのようにポートジャクソンは素晴らしい湾でした。フィリップは千隻もの帆船が安全に停泊できる世界一の良港と表現しています。特にフィリップが気に入った入り江は、岸近くまで大きな船が入れて、しかも豊富な湧き水があるという最高のものでした。現在のサーキュラキーのあるシドニー湾です。彼がシドニー卿に因んでつけた名前です。
朗報を持ってボタニーベイへ引き返したフィリップは、残りの船をポートジャクソンへ向かわせ、1月26日の朝には11隻の船が勢ぞろいしました。士官、海兵隊、囚人達はフィリップ船長と海岸へ降り立ち、国旗を掲げ、国王ジョージ3世と植民地ニューサウスウエールズに乾杯しました。そして祝砲を放ちここに植民地は正式に発足したのでした。オーストラリア国民の祝日、オーストラリアデーの始まりです。
26日の夕方には11隻の船団はシドニー湾に碇を下ろし、フィリップ船長は長い航海の任務を無事やり遂げたことになります。次の日の日曜日は、上陸の日です。船から人も荷物も降ろさなければなりません。これからの生活に備えて、木を切り倒してテントを張り、かじ屋の仕事場を作り、料理人はかまどを作って火をおこし、一方兵隊は訓練に励み・・・と誰もが大忙しの日でした。
フィリップ総督はほっとする間もなく、千数百人の総指揮官としてこれから困難な問題に立ち向かうことになりました。彼の日記にはこう記してありました。「さしあたってどうやって雨露をしのぐのか、何を食べて生きて行けばいいのか、そしてこれからどうやってこれだけの人数の人がうまく暮らして行くのか。」(Dreamtime To Nation より)
 
主な参考図書 
Dreamtime to Nation   Lawrence Eshuys Guest (Macmillan Australia) The Voyages of Captain Cook Dan O’Keefe (Paul Hamlyn) 
その他の参考資料は連載の最後にまとめて表示します。
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